続倉敷珈琲物 第18話「カフェ・プロコプの真実」
「さあ、ここが、フランス最古のカフェと言われている<カフェ・プロコプ>でっせ。
ほんまは違うんやけど...」
マンデリン号から下りながらラッキーが始めた。
「違うって...?...最古じゃないの?...あっそうか!
フランスではなく、パリで最も古いっていうんでしょ?」
「う〜ん、正確に言うとフランス風カフェとしては世界最古なんやけど、カフェとしてはパリでも最古とはちゃいまんねんやな〜これが...」
「もう、なんかスッキリせん話しやな...。もうちょっと解りやすく説明してよラッキー。」
「まあ、せっかくここまで来たんやから、あのオッチャンの話しを聞いてみましょ...
フランスカフェの興味深い真実が聞き出せまっせ!」
「誰? あのオッチャンって?」
「ここカフェ・プロコプのオーナーです。となりにいるのが息子のアレクサンドルで跡継ぎでんな。ちょうど、お客さんたちに昔話を始めたところを狙って着陸しましたんや。そばに行って良く聞いてみなはれ。あっそうそう、今は18世紀になったばかりでっせ。」
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「なあプロコープさんよ。そろそろこの店も息子に任せて、残りの人生を楽しもうじゃあないか?」
常連客らしい男が親しそうに初老のオーナーの肩を優しくポンポンとたたいた。
「何を言うか!まだまだ若いもんになんか渡せるものか。今までどれだけ苦労してきたことか。そもそも、カフェというものはだな〜.......」
「またおやじの苦労話しが始まっちまったよ。長いぜ〜...」
「いいかアレクサンドリア! おまえもよ〜く聞いときなさい。」
「.........」あきらめ顔で肩をすくめたアンドリアも覚悟を決めた様だった。
「貧乏なシチリア島パレルモの家で育った私は、1670年二十歳のとき一旗揚げようと精一杯の金を持ってパリに出てきた。
いろいろやったが、何もかもうまく行かず、持ち金は底をつき、気が付けば22歳になっておった。
途方に暮れていたそんなとき、アルメニア人のパスカルとの運命的な出会いが待っておった。
パスカルは当時パリの年中行事となっていたサン・ジェルマン広場近辺の定期市に、一角の小屋掛けを借りて立ち飲みのカフェをひらいていた。
手品や人形芝居などの見せ物や賭け事の場所と同列の出店だったが、これがなかなかの人気を呼んだものだった。当時コーヒーはまだまだ珍しいものだったんだ。
私は給仕として彼の仕事を手伝った。
大きな人気に気を良くしたパスカルは、セーヌを挟んだ対岸にささやかだが独立したカフェを開店した。
私はその店を任されたんだが、パスカルが思っていたように繁盛せず、やがてパスカルはパリを捨ててロンドンへ行ってしまった。
その店を引き継いだ私は、小金を溜め1675年、トゥルーマン通りに立ち飲みの小さな店をオープンした。
この年、私はフランス人女性と結婚し、今の名前<フランソワ・プロコープ・デ・クートー>とフランス風の名前に改名した。
実は、私の本名は<フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ>というのだ。」
「おいおい、そりゃ〜初耳だぜ。結構苦労してんじゃね〜か? それで、その店が今のここプロコプかい?」
「いや、その店では、本当にフランス人の心をつかむことが出来ないと思い始めていたんだ。多くのアルメニア人がカフェの経営に失敗していた中で、ありがたいことに私の店は多くのイタリア人たちに愛され、幸運にも、ある程度の財をなすことができた。
しかし、トルココーヒーセレモニーの豪華でエキゾチックな印象を持つ多くの貴族階級には、立ち飲みのカフェはほとんど指示されず、私は新しい華麗なカフェの必要性を痛感していた。1684年、私はフランスに帰化し、本格的な大きなカフェの創設計画を実行に移して行った。
まず、遠い知り合いの所有物だった古いデラックスなサン・ジェルマン通りの公衆浴場に目を付けたんだ」
「公衆浴場だって?」
「そう、公衆浴場! もともとここには大きな鏡や、大理石の板、シャンデリアなんかが沢山あって、それらを活用し、壁さえぶち抜けば、広くてゆったりした最高級のカフェに改造できるとふんだんだ。床にはもちろんじゅうたんを敷き詰めてね!
そして、1686年オープンにこぎ着けた。
実は店の名前は当初<カフェ・オ・サン・スエール・ド・テユラン>(トリノの聖棺衣)と名付けたんだが、すぐに<カフェ.プロコプ>の方が粋だとみんなにそう呼ばれるようになり、ついに改名したという裏話まである。」
「へえ〜、それですぐに流行ったの?」
「商売はそんなに甘いもんじゃあない!
開店当時すぐ近くにテニス場<ジュー・ド・ポーム>というのがあって、そこでの遊戯者たちが最初は贔屓にしてくれたものだった。
しかし、カフェ・プロコプのイメージを決定的なものにしたのは1689年4月18日のあるできごとだった」
「ある出来事って?」
「コメディー・フランセーズの新劇場が同じ通りに進出してきたんだ。当時の人気俳優をはじめ、劇作家、ゴシップ記者、観客達が大勢大理石のテーブルに陣取ったものだ。
一気に演劇カフェのイメージが定着し、お客がお客を呼ぶというありがたい賑わいを見せるようになっていった。
そして、新世紀を向かえた今に至る訳だが、最近では有名な文士や哲学者たちが増えてきて、文学カフェと言ったほうが言いかもしれないほどになってきたな。
私のこの店は、フランスでフランス人に認められた最初のオシャレなカフェだ。
最近ではパリじゅうに似たようなカフェが乱立してきたが、カフェ・プロコプだけは他と違うと言われるようにほこりを持って新たな文化形成のお手伝いがしたいものだ。」
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「へえ〜、なかなか面白い話しが聞けたね。それにしても大衆浴場とは、驚いたね!」
「その当時の名残を受け、光をとらえて部屋を大きく見せる鏡の効果を活用する様式そのものが、今でもパリ風カフェの最大の特徴となってますねや。
ここプロコプに通った有名人には<文豪フォントネル><ディドロ><ダランベール><ヴォルテール><ジャン・ジャック・ルソー>らの姿があり、「百科全書」もここから生まれたといわれてます。」
「なるほどネ〜。様々な文化人や知識人がここプロコプで交流し刺激しあいながらコーヒーを楽しんだ訳やね。あらゆる分野に長けた人々が集まってわいわいやっている話しを聞いていて、その内容を整然と纏めて百科全集を作りたくなったディドロの気持ちも解るような気がするな。」
「時代は下ってフランス革命時期、ここプロコプは政治家やジャーナリスト達が激論を戦わせる舞台へと変遷します。<マラー><ロベスピエール><ダントン><エベール><デムーラン>らがコーヒーを飲みながら焦眉の問題を論じあっています。
こうして、その時代時代に大きな文化形成、思想形成の舞台としてただならぬ役割を演じてきたカフェ・プロコプは、現在はレストランとして観光客の人気を博しているいうわけやね。
店の2階の片隅にあるヴォルテールやルソーのテーブルとか、その昔の常連客の肖像画などを見てると、古びた店の中にその昔の熱っぽい雰囲気が蘇る思いがするんちゃうかな?」
「今のその店にも行って見たいけど、それはまたにして、次はどこまで行くのラッキー?」
「つぎは、紅茶の国イギリスで〜す。なんで紅茶かって?それは、次のお楽しみ!」