2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

続倉敷珈琲物語 「旅のノンフィクション大賞」

鄭永慶のお孫さんである福永さんとの不思議な出会いから数か月たった、お盆をあと数日後にひかえた8月11日の日曜日私は妻と昼食をとりに行きつけの蕎麦屋に出掛けた信州そばとして有名なそのお店がなぜか閉っていた...日曜なのに...車で30分ほどの距離を走っ…

続倉敷珈琲物語 「奇跡的な出会いのいきさつとは...?」

美味しいフランス料理をいただきながら、この不思議な出会いへの道のりを楽しそうにお話しいただいた。そのお話によると... 鄭永慶のお孫さんの福永さんは、長年にわたっておじいさんの行方を捜していたが、アメリカのことでもあり、なかなか難しくてほぼあ…

続倉敷珈琲物語 「永慶先生のお孫さんと語らえるなんて!!!」

「はじめまして、鄭永慶の孫(長男の長男)でございますという文章が件名に入ったメールをドキドキしながらクリックすると、そこには次のようなことが書かれていた。 自分は鄭永慶の孫であること永慶のシアトル行きは知っていたが、消息などはわからず、高齢…

続倉敷珈琲物語 「鄭永慶の孫でございます」...思いがけないメールが届いた

倉敷珈琲物語のエピローグを書いたのは、今から10年前の5月でした。長い長い、2年半にも及ぶコーヒーロードの旅でした。物語を完成させたとき、この長い旅にお付き合いいただいていた多くの読者の方々から、完成のお祝いメールをいただき、感激したことをよ…

続倉敷珈琲物語 「喫茶店の日 可否茶館 開業123周年記念会」

昨日の喫茶店の日に、日本最初の本格的な喫茶店「可否茶館」の創業跡地であり、2008年に記念碑が建立された場所(現在の三洋電気東京ビル)にて、可否茶館開業123周年記念会が開催されました。いつも、会場としてご協力いただいております三洋電気さんには心…

続倉敷珈琲物語 エピローグ

「よかったら、おかわり言ってくださいね...うちは、遠慮いらないですから...」「すいません、急にお邪魔して...ありがとうござます」ベルビューは、シアトルダウンタウンから車で約20分ほど東へ走ったところにある美しいベッドタウンシアトルダウンタウン…

続倉敷珈琲物語 第59話「やっと会えましたね」

日本最初の本格的コーヒーハウスの設立者、鄭永慶先生のお墓を探しにシアトルまでやってきた今、こうして珈琲を楽しめることに対し、先生に感謝の意を捧げるために.....偶然が重なり、多くの人に助けられ、とうとうここまでたどり着くことができたあと少し、…

続倉敷珈琲物語 第59話 「名簿」

「レイク・ヴュー墓地へ行きたいんです。どうやって行けばいいか教えていただけますか?」と、英語で言ったつもりだった 「墓地...?」 えっ? といった顔で、フロントの若いホテルマンが訊き返してきた 「そう、レイク・ヴュー墓地。知ってる?」「う〜ん..…

続倉敷珈琲物語 第58話「出会い...」

「Hello....」以外にも電話から聞こえてきたのは女性の声だった。「あっ、もしもし」 ちょっと驚きながら、思わず日本語が出てしまった...「あ〜もしもし」 と、相手も日本語。 よかった、日本語が通じる。「もしもし、あの〜横田さんのお宅でしょうか? 日…

続倉敷珈琲物語 第57話「シアトルへの想い...」

「それにしても、いい写真が手に入ったねぇー」喫茶ナポリの写真を手にしながら、ルモンドおじさんは続けた...「とりあえず、こうして倉敷の珈琲の歴史もわかったことだし、長かった珈琲ロードの旅もこれにて終了かい?」 「本当はもう少し、詳しく調べたか…

続倉敷珈琲物語 第56話  「喫茶 ナ ポ リ 」

「倉敷の珈琲の歴史を調べてるんです...」 初めて入った喫茶店「サロニカ」で、私がこうして話し始めるまでには、いすに腰掛けてからおよそ20分ほどが過ぎていた..楽しそうに語らう常連客と店主の会話を、聞くとはなしに聞きながら、初めて入ったこの店の…

続倉敷珈琲物語 第55話「昭和3年...喫茶店二...!」

倉敷で最初の喫茶店はどこにあったのだろう? なんていう名前の店だったのかな?さらには、岡山での「カッフェー・ブラジル」のように、みんなに愛され、時代のエポックメイキング的な役割を果たした、倉敷の喫茶店とは、いったいどこだったのだろうか? 図…

続倉敷珈琲物語 第54話「一番のみは、孫三郎? はてさて虎次郎...?」

おそらく倉敷一の有名人? 今でも多くの人々にその偉業の数々が語り継がれている...クラレを創設し、大原美術館を作った人...そう、その名は 「大原孫三郎」 「倉敷の地で最初に珈琲なるものを飲んだのは誰だと思う...?」こんな質問を差し向けると、かなり…

続倉敷珈琲物語 第53話「釣った魚はシャチホコの子だって?」

やっと見つけた資料...「倉敷の文化とキリスト教」その中に出てきた「好事雑報」 文明開化の時代にあって、何か変わったものがあれば、たとえ草木であれ、動物であれ、旧蹟であれ、それをただし、考証をなし広く報知するのが 「好事雑報」の趣旨であった。 …

続倉敷珈琲物語 第52話:「倉敷の文化とキリスト教」

図書館の方からいただいた貴重なヒント...「中川横太郎」「キリスト教」・「宣教師」というキーワードを探るため、まず向かったのは、倉敷キリスト教会だった。21世紀を間近に控えたその日は、さわやかに晴れ渡り、凛とした冬の空気が心地良い最高の取材日…