続倉敷珈琲物語 第57話「シアトルへの想い...」
「それにしても、いい写真が手に入ったねぇー」
喫茶ナポリの写真を手にしながら、ルモンドおじさんは続けた...
「とりあえず、こうして倉敷の珈琲の歴史もわかったことだし、長かった珈琲ロードの旅もこれにて終了かい?」
「本当はもう少し、詳しく調べたかったんですけど、今のところ、これで精一杯っていうのが本音かな〜
ひょっとすると、もっと古い喫茶店があったかもしれないし...?」 と、タカシ.....
「まあ、そのときは、また追加すりゃ〜ええが............まっ、これにて、一件落着だな!」
「..............................」
「どうした?」
「ず〜と前から考えてたんですけど、この物語の最後は、どうしてもこうしたいっ!......ていう構想があるんですよ...!」
「どんな?」
椅子の奥まで腰掛けなおして、半年以上も暖めていた物語の結末を、ゆっくりとタカシは話し始めた.......
「鄭永慶って、覚えてます...?」
「ああ、日本で最初の本格的な喫茶店を開いた偉い人じゃろ?...たしか、東京の可否茶館じゃったな?」
「そう! すごい! 良く覚えてますね...さすが!」
「そりゃ〜何回も聞かされりゃ〜誰でも覚えるじゃろ〜」
「そりゃ〜ルモンドおじさんはそうかもしれないけど、ほとんどの人はまだ知らないと思うんだ?」
「まあ、そうじゃろうな〜 教科書にのってるわけでもねえしなぁ〜...?」
「でもね、こうしておいしいコーヒーを飲めるのは、鄭永慶さんのおかげでもあると思うんだ...!そんな鄭永慶さんが、身寄りの無いシアトルへ密航して、わずか37歳で亡くなってるでしょ?」
「そうじゃったなあ....」
「寂しかったと思うんだ..! たった一人で.....異国の地で....。そこで、そんな鄭永慶さんに、おいしい珈琲をありがとう!って御礼を言いに、お墓参りをしようと思ってるんだ!!」
「そりゃ〜ええことじゃけど、お墓の場所? わかっとん?」
「全然?」
「全然って、どうするつもり?」
「これから調べるの! 頑張って調べて、それでもわかんなかったら、シアトルに行ってでも調べるのっ!」
そんな訳で、タカシのお墓探しは始まったのでした。
まず、「日本最初の珈琲店(可否茶館の歴史)」いなほ書房の著者、星田宏司先生のホームページからメールで問い合わせをしてみた。
おそらく、日本で一番鄭永慶のことに詳しい方だと思ったのだ。
しかし、メールがうまく届かないのか、それとも不明なのか、返信メールは届かなかった。
次に、知り合いのコーヒー屋さんにお願いして、バッハグループで有名な日本の珈琲第一人者の田口先生に問い合わせていただいた。
しかし、やはり、お墓に関しての情報は何も無かった。
鄭永慶が亡くなったのは、1895年。 今から100年以上も昔のこと.....やはり、無理なのか?
日本では無理と判断したタカシは、シアトルへと目を向けた
在シアトル日本国総領事館のホームページを見つけた http://www.embjapan.org/seattle/index_j.html
英語に自信のないタカシは、だめでもともと....という想いで、メールを打った
ありがたいことに、今度は、すぐに返事がもらえた
e-mailありがとうございました。
あいにく当館にはお探しの情報がありません。
鄭さんがシアトルのどこに住んでいたのか、といった情報はお持ちでしょうか。
シアトルのコミュニティ紙に広告を出してみるのも1つの方法かもしれません。
いかがでしょうか。
領事館の南山さんという方からのメールだった。
突然の、わがままな問い合わせに、非常に迅速に対応していただき、恐縮してしまった。
結果としては残念な情報だったが、そう簡単にわかるはずも無く、コミュニティー紙への広告というアイデアをいただけたことに感謝した。
早速、お礼と一緒に、コミュニティー紙への投稿に関して、再び問い合わせてみた....
すると...
ご連絡が遅くなりましたが、当地の日系紙「北米報知」に横田さんという方がいて、本件に対し興味を持っていらっしゃいます。ご連絡をしてみてはいかがでしょうか。
広告の場合でもたとえば20ドルから30ドルでもかまわないとのことです。
依頼内容を文字にして横田さん宛に送っていただきたいとのことですので、至急ご手配いただければ幸いです。 南山
このような返事が返ってきた。
ありがたい。日本人が多いシアトルのコミュニティー紙に、お墓探しの広告をわずかなコストで掲載していただくことができるのだ。
さっそく、横田さんに連絡をとった。
今まで書いてきた物語を読んでいただき、なんとしてでも捜し出したい気持ちを一生懸命メールで伝えた.....
こうして会ったことも無い方々を巻き込んでしまい、いても立ってもいられない気持ちが募り、とにかくお墓探しにシアトルへ出かけることにした。
出国直前、私の想いは、横田さんから届いたこんなメールで報われた
はじめまして北米報知の横田と申します。
本紙で先ず記事として紹介させていただきます。
広告に関しては後日打ち合わせいたしましょう。
広告としてではなく、記事として取り上げていただけるというのだ!
自分でも信じられない展開に興奮しながら、気持ちはもうシアトル....手荷物の準備もルンルンだった。
メールで最初の滞在先がダウンタウンのクレアモントホテルであることだけを連絡し、フライトへ向かったタカシだった...
わかりやすいようにと、最初の日の滞在先に選んだクレアモントホテルは、シアトルの町並みにしっくりと来る落ち着いた風情のホテル...
チェックインすると、そこには「電話下さい」という、横田さんからのメッセージが入っていた...
部屋に入るなりタカシは、荷物の整理もそこそこに、あわただしく受話器に手をかけた
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この第57話に出てくる「日本最初の珈琲店(可否茶館の歴史)」の著者である「いなほ書房」の星田宏司先生は、この物語を書いた当時(10年前)にはまだパソコンにはお詳しくなくて、私のメールに気が付いていらっしゃらなかったそうだ。
どうしてそう言えるかというと、直接星田先生から聞いたからです。
そうです、この物語をきっかけに、星田先生との不思議なご縁をいただき、新たな物語が作られていったのです。
この続編は、そうした倉敷珈琲物語を通じて出会えた方々と織りなす珈琲物語の続きを書いて行こうと書き始めました。
不思議な不思議な物語に引き続きお付き合いください