続倉敷珈琲物 第5話「美しき町ハラール」その2

1時間後、私は別世界にいた。

イスラムだ!」

石作りの家々、迷路のように入り組んだ小道を囲むように周壁がそびえ立っていた。
円形の周壁に囲まれた中心には広場があり、そこが乗り合いワゴンの乗り場であった。
その広場から周壁に向かって放射状に5本の道が伸びている。
下界との境には大きな石作りの門があり、その近辺では露店商の市場がにぎやかだった。


ハラールイスラムの聖地。だから何もかもジンマと違うよ。きれいな町ね!」

そう、ここは紛れもなくエチオピアの都市ハラール。同じ国なのに言葉も文化も全く違うという現実をなかなか受け止められなかった。

紅海まで200kmのここハラールは、かつてイスラム勢力にとっての西漸の重要な砦であり、エチオピア侵攻の拠点であった。またヨーロッパやアラビアとエチオピアを結ぶ交易拠点でもあったのだ。

コーヒーにとってもハラールは重要なポジションを占めている。

カファ州で発見されたアラビカ種のコーヒーをおそらく世界で初めて「栽培」するようになったのが、ここハラール地方であると言われている。15世紀頃の話しである。

17世紀には北部のタナ湖周辺でも栽培されたと伝えられ、スコットランド人の旅行者ジェームス.ブルースの「ナイル川の水源発見旅行記」によれば、18世紀後半にはコーヒーは「カファからナイル川の上手に渡り、どこでも大量に、自然に生産されていた」と報告されている。

このようにしてエチオピアで生産されたコーヒーは、ハラールへ集積され、アッサブ港から対岸のイエメンのモカやアデン等の港を経由し、アラビアへ輸出され、それがやがてトルココーヒーに、さらにはヨーロッパのコーヒー文化へと発展していったのである。

もちろん現在もハラールはコーヒーの交易拠点としての役割を果たしており、60kgはあろうかというコーヒー豆の袋をかついだ男達の姿が多く見られる。

女性はというと、倉庫に集められた多量の生豆の山を取り囲んでワイワイガヤガヤ一粒一粒ハンドピックで不良品を選別していた。

女性の服装からもイスラムの香りがしてきます。
ああ、もう、気分はイスラムなんです。

さあ、いよいよエチオピアを卒業して次なる国「イエメン」へと胸が高鳴ります!

イエメンにはアジスから国際線飛行機に乗らなければなりません。
アベベの提案通り、帰りはディレダワからアジスまで飛行機にしました。
5000円程かかりはしましたが、なんとたったの45分!!
(あの列車の長旅は何だったんだろう?でも思い出に残っているのは圧倒的に列車だ〜い)

<イエメンを思うとワクワクものだけど、アベベにも一緒に来て欲しいなあ〜....なんてムリだよなあ〜?辛いよなあ〜、寂しいな〜、あ〜あ〜あ〜...なんて言ってサヨナラすりゃ〜いいんだよ〜?...>

帰りの飛行機の中、二人とも眠る訳でもなく、押し黙ったままでアジスに到着した。

何もいわなくても、通じ合えているという実感があった。だからこそ辛かった。