続倉敷珈琲物語 「奇跡的な出会いのいきさつとは...?」
美味しいフランス料理をいただきながら、この不思議な出会いへの道のりを楽しそうにお話しいただいた。
そのお話によると...
鄭永慶のお孫さんの福永さんは、長年にわたっておじいさんの行方を捜していたが、アメリカのことでもあり、なかなか難しくてほぼあきらめていたそうだった。
鄭家とは、台湾・中国本土で英雄として祭られている「鄭成功」の父「鄭芝龍」を祖先に持つ家柄。
長崎で鄭家の方々が集まる会が何度か開催されていることを福永さんはご存じではあったが、祖先のいきさつもわからぬままで参加することがはばかられたようで、一度も参加されたことはなかったそうだ。
しかし、高齢になり、行きたくても行けない年齢になる前に一度行っておこうと一念発起され、2002年の7月に長崎平戸で開催された「鄭成功生誕祭」に初めて参加された。
ちょうどその時、永慶の妹「トラ」のひ孫にあたる関口富美子さん親子も、偶然にも同じ年の「鄭成功生誕祭」に初めて参加されたのだった。
それまでは、関口さんと福永さんには面識なかった。
また、系図にはお二人とも記載されていなかったので、奇跡としか思えない出会いだった。
なぜ奇跡的かというと、初めて参加されたお二人は隣同士の席につかれ、お二人とも初めての参加なのだからとスピーチを求められた。
そのスピーチで福永さんは鄭永慶の孫であること、シアトルでの行方やお墓のありかなど探したが見つからず、残念な思いで過ごしてきたこと。
参加したかったが、なかなか足が向かず、最後のチャンスと思い今回参加したことなどを話された。
その話を聞いた関口さんから、思いがけない言葉を福永さんは聞くことになったのだった。
「福永さん、鄭永慶さんのシアトルのお墓は見つかりましたよ!」
「えっ! 本当ですか...?」
「はい、倉敷珈琲物語というホームページに書かれている物語で、実話として鄭永慶さんのシアトルのお墓が発見されましたよ。私は半年ほど前からこの倉敷珈琲物語を見つけ、お墓探しにシアトルに行こうと作者が決めた時から、頑張れ頑張れという気持ちで、絶対に見つかるぞと期待を込めて、物語の進展を楽しみに見ていました。そして、とうとう見つかったのです!」
「どうやったらそれを見ることができるのでしょうか?」
「私が印刷して送ってあげますよ!」
こうして、偶然にも初めて参加した福永さんと関口さんの出会いがあって、倉敷珈琲物語の存在と鄭永慶のお墓の発見を、福永さんは知ることになったのでした。
そしていてもたってもいられなくなり、メールの勉強を行い、私に連絡し、広島までディナーに招待しに来て下さったのだった。
美味しい食事をとりながら、たくさんワインをいただいた。
本当に楽しそうに、何度も何度も感謝の言葉を口にされた福永さんを見て
「頑張って物語を書き続けて良かったな〜頑張ってお墓を探してよかったな〜」
としみじみ感慨にふけったのでした。