謹賀新年 倉敷珈琲物語(プロローグ)-1
珈琲の原生地から倉敷まで、どのようなルートを通って珈琲は伝わって来たのか?
その道を辿りながら珈琲の歴史と文化を調べながら、ネット上に掲載していく。
物語の題名を「倉敷珈琲物語」としたのは、物語という言葉の響きが好きで、多様な広がりを感じさせてくれるイメージを持っていたからだと思う。
慣れない文章を書き続けるため、毎月5日と20日にアップするとWEB上で公言した。いわゆる有言実行を目指した。
わかりやすく、読みやすく、楽しい文章とはどう書くべきか悩んだ末に、対話文を多用し、口語表現で書くことにした。
大規模な海外取材を行う時間も予算もなかったため、様々な情報を取得し、まるで本当に旅行しているようなバーチャルな旅行記を目標として書き始めた。
物語の始まりは、珈琲の原生地であるエチオピアに向かう飛行機の中から書き始めることにした。
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序章(プロローグ)
「当機は次第に高度を下げ、まもなくボレ国際空港に向け着陸体制に入ります。シートベルトをおしめになり、背もたれを元の位置にお戻し下さい。 なお、これより先のお煙草はご遠慮ください。」
いつから眠っていたのだろうか.........? スチュワーデスの機内放送で目が覚めた。
眼下には見たことのない、鋭い爪で引っ掻いたような大地の裂け目が広がっていた。
<グレートリフトバレー>と呼ばれる大地溝帯。
グランドキャニオンとテーブルマウンティンが見えてきたらエチオピアだと教わった。
まもなく、最初の目的地アジスアベバだ。
私の名はタカシ。
少々年をとりすぎた観のある、フリーターである。
世の時流に乗り遅れることなく、不景気とやらのせいでフリーとなってかれこれ2年。
養うべき家族も無い私は、それなりにその日ぐらしを楽しんできた。
そんな私が何故エチオピアの上空で目を覚ましたのか、少し説明の必要があるだろう。
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この説明は次回へ続く