倉敷珈琲物語(プロローグ)-2

私の住む町は、女性に人気があることで知られる美しい町「倉敷」。

行くべき会社の無くなった私が日課のように通う店があった。

「ねえマスター! 倉敷で最初にコーヒー飲んだ人が誰か知ってます...?」
ふと気になって尋ねたこんな質問がきっかけだった。

「そりゃ〜、大原さんぐらいでしょう...?誰が...いうのは難しいけど、どこの店が...いうんなら、わかるかもしれんなあ...」

<また、何を言い出すやら...>といった表情で、マスターが相槌をうってくれた。


ここ倉敷で25年も前から自家焙煎の店をやっているマスターは、『ルモンドおじさん』 と呼ばれているコーヒー通である。ご多分に漏れず「コーヒーに関しては、何でも聞いてくれ」タイプのオーナーだった。

(ちなみに、大原さんとは倉敷にある有名な「大原美術館」の創始者のことだと私は勝手に解釈していた)

しかし、残念ながら私の質問に対する答えはマスターの辞書には無かったらしい。

「日本で最初の喫茶店ならかなり詳しい本がでとったけどなあ...。たしか東京のあたりじゃったけど...?」

そういいながらマスターは、奥のほうに大事そうにしまってある一冊の本を取りだし、台拭きでカウンターをきれいにしてから、私の目の前にそっと置いた。

<珈琲博物誌、伊藤博著 八坂書房

「この本を見りゃあ、たいていのことは載っとるけど、倉敷のこたぁ書いてねかった思うけどなあ...。企業秘密じゃけど、読んでみる?」

冗談なのか、マジなのか判断に困った私は、返答もせずに黙ってその本を手に取りさらっと目次に目を通した。


<世界のコーヒー、コーヒーの起源、コーヒーの軌跡、輝かしい歴史的カフェ...>........!!


「この本によるとじゃなあ、日本に珈琲が入ってきたのは200年程前で、当時の鎖国政策の中、唯一国交のあった長崎にオランダから.............じゃけど、その当時の人は................文献...................ぼっけえにがい....................................????」

マスターには悪かったが、そのときの私は既にうわのそらで、頭の中では全く別の世界がかなり鮮明に展開し始めていた。

 

「ねえ、マスター! コーヒーが最初に発見された場所へ行ったことあります?」

急に話の腰を折られて不機嫌そうなマスターをしりめに、私は一気にまくしたてた。

「日本もいいけど、どうせなら最初っからたどってみたいと思うじゃあないですか。

コーヒーがどんな風にどんな国を伝って来たか、そのコーヒーが辿ったとおりに旅してみるってのはどうかなあ〜?いわゆるコーヒーロードってやつですよね!

その地で必ずコーヒーを飲んで味比べしてみるわけです。ねえ、ねえ、行ってみたいと思いません?」

 

マスターからの心地よい賛同の相槌を待つまでもなく、私の心は決まっていた。

<旅に出よう!>

重要なことを決定するときなんてこんなものかもしれない。

<このままじゃいけない。何かを変えなくては...>

なんとなく過ごしていた日常の中で、少しずつ、でも確実に大きくなってきていたそんな思いが、私をそうさせたのだろうか?

<旅をするくらいで、人生そう簡単にかわるもんじゃないさ。>

それなりに年を重ねてきた私は、こんな常識論をもっともそうな顔をしてよく語ったものだった。その私が、いともこう簡単に、決めていいんだろうか?




「ガタガタガタッ」

急に不安になるほどの振動が座席の下から感じられた。

おそらく着陸の為の車輪が機外に頭をもたげただけだとは思ったが、いま一つエチオピア航空を信じ切れない自分が情けなかった。

いよいよ、コーヒー発祥の地に着陸する。

マスターから借りてきた本によれば、コーヒー豆とは<コーヒーノキ>という木になるチェリーに似た赤い実の中にできる種子であり、その木の原生地がここエチオピアのアビシニア高原である。




私は今も存在するという野性のコーヒーノキをまず見てみたいと思った。

そして、その地を、私のコーヒーロードのスタート地点と決めていた。