続倉敷珈琲物語 第一話「なんでドリフのチョーさんが...?」−その1

安いからと、アエロフロート航空のモスクワ経由を選んだ。

アジスアベバまでの直行便が取れなかったので、比較的本数の多いナイロビを経由してエチオピア航空でアジスまで入ることにした。

ナイロビからの約1時間40分のフライトでは、しっかり目をさまして大パノラマを楽しむべきだった。

気が付いたら褐色の高原都市アジスが目の前だった。
(緑いっぱいの高原都市を想像していたのだが、以外と空からの色は褐色だった)

予想に反して、非常にスムースなランディングで、無事ボレ国際空港に到着した。

「ブォッムッ」

なんと表現していいかわからないが、高級車のドアを無理やりひん剥いたような音がして一気にエチオピアの空気が機内に入ってきた。

「ぜんぜん、さわやかじゃん」

いかに高原とはいえ、アフリカならではの、ムッとしたような熱気を期待していた私はいくぶん拍子抜けした。結構涼しい。なかなかいい。

そのかわり、なんとなく酸っぱいような、何ともいえない臭いが鼻をついた。
ゲートを抜け、空港のビルに入るとその臭いは威力を増した。

「けっこう、くさい!」

後でわかったことだが、エチオピアの代表的香辛料「バルバレ」が原因とおもわれる独特の臭いであった。しかし人間いいかげんなもので、これがないと物足りないほど、エチオピア料理は私の口に合ったのだった。

次の、入国審査や通関での荷物検査は、思い出したくない程の苦行であった。長すぎるのだ。

疲れているは、早く外に出たいはで、イライラの極致。
それなのに、そんなに時間がかかったというのに(4時間)荷物が出ていない...???

「ここは、日本じゃーないんだ。アフリカなんだ」

ジャングルの真ん中に不時着でもすれば、その時点で心構えもできようと言うものだが、あまりに都会的なアジスに少々油断していた。

ギュ〜ウッと気持ちを引き締めて、ターミナルビルを後にした。さあ、出発だい!

ターミナルビルの真正面には、私の出迎えが40人ほど大きく手を振ってくれていた。

そんなアホな?

私はもちろんエチオピアは初めてで、人生の糧にしようと敢えてツアーではなくチケット片手にやってきたのだ。今日の宿も決まっていない。

しかし、間違いなく私に手を振ってくれている。
絶対変だとは思ってみても、全く初めての、ましてやアフリカで歓迎されるのは悪い気はしない。
とりあえず、そちらへ向かって歩いて行くことにした。

「ピアッサ、ピアッサ?」「ラガール、ラガール?」「マルカート、マルカート?」
「タクシー、タクシー?」

納得した。大きめのワゴン車だったので、すぐには気付かなかったのだが、ツートンカラーの乗り合いタクシーの乗り場だった。大きな声で聞いてきたのは、私がどこまで行きたいのか確認していたらしい。
とりあえず、私が最初に行きたいのは「ジンマ」というカファ州の町である。
そこまで、どうやって行ったらいいのかさえ知らなかった私は、負けないぐらいの声で叫んでみた。

「ジンマ!ジンマ!」

一斉に愛想がよかった男達が首を振った。そして、他の客に声を掛け始めた。
なぜだかわからなかった。遠すぎるのか近すぎるのか発音が悪いのか?

念のためもう一度叫んでみた。

「ジンマ?ジンマ?」

「ジンマ!ジンマ!ワタシ、ジンマ、シッテル。」

メッチャメッチャやさしそうな笑顔で、大きく手を振ってくれた男がたった一人いた。
なぜか、ものすご〜く懐かしいような、ずっと昔から知っているような、そんな印象だった。
不思議な気分はすぐに解決した。

「ドリフのチョーサンだ。」

ちいさいころ、毎週末の8時に集合していた私は、よくコントのまねをしたものだった。
そのチョーサンに生き写しであった。
体型もエチオピアの人の中では異様なほど高く、ヒョロっとしている。

知っている人に似ているというだけで、今回のエチオピアのガイドを「チョーサン?」に依頼することにした。だれが信用できるのかなんてどうせわかりはしないのだ。

ここはひとつチョーサンに賭けてみることにした。

                                                                                          • -

生まれて初めて訪れるエチオピアで、誰と出会い、どのような対話を展開するのか?

物語の始まりに際して、私の中でアフリカの人に一番近い有名人がドリフターズのチョウサンだった。

チョウサンに良く似たツアーガイドとの珍道中は次回に続きます。